連休中は溜まっていた書類や本などをたくさん処分しました。不要なものが机周りを占領していたので、使えるスペースが増えてスッキリいい気分です。
必要な断捨離は喜んでしますが、実は持たない暮らしには抵抗感があるのです。
その原因は、もしかしたらスーツケースひとつしか持ち物がなかった留学時代の名残かもしれません。
スーツケースひとつで暮らしていた留学時代
20代の後半にイタリアにインテリアの勉強に行っていました。
当時、イタリアの学校や留学に関する情報はあまり日本に入ってきていませんでした。多少不安でしたが、出来るだけのことは日本で調べて出発しました。
ローマで半年くらい語学を勉強して、ミラノのインテリアの専門学校に入る予定でした。
ところが当てにしていたミラノの学校が思ったようなものではなく、帰国するか?別の学校を探すか?という不安定な状況におちいってしまったのです。
結局フィレンツェの学校に通うことになったのですが、住まいが定まるまで引っ越しに次ぐ引っ越しで、スーツケースとバッグひとつから荷物を増やせない暮らしをせざるを得ませんでした。
後半は良い大家さんを見つけたので安心して暮らせましたが、それまでの不安な気持ちと「モノは増やせない」と思って生活していた気分がリンクして、なんとなく殺伐とした気分になってしまうのです。
同時に、スーツケースひとつでも生活していける自信がついたのも確かですが、ちょっと辛い経験でした。
反動でなんとなくモノがない暮らしは寂しいと思う。
あんまりモノを持たない暮らしが流行っているので、自分に立ち返る意味でもこの記事を書いています。
モノを持っていることは、本来幸せなことだと思うのです。
何かを試したり、楽しい時間を過ごしたり、便利だったり。その時は何か豊かな時間を過ごす手伝いをしてくれたモノだったのだろうし、今もそのモノは役に立っているのかもしれません。
雑誌等で、何もない空っぽなくらいのミニマルな部屋を見ると「苦手だなあ。」と思ってしまいます。
慎重に買い物するのは大事だけど、いい経験のチャンスなら思い切って買う。
私も不要なものは家に持ち込みたくないので買い物は慎重ですが、やったことのない事が実現できそうだったり、楽しい時間が過ごせそう、生活がぐっと便利になりそうなときは、思い切って買うことが多いです。
そのモノを買って面白いことが起こりそうなら、「ハズレ」覚悟で買ってもいいのかなと思います。
家を汚したくないばかりに、いい経験のチャンスを逃すのはもったいないかなと。
キレイな家は楽しく暮らすためにあるのを忘れてないけないなと自戒もあって、この記事を書きました。