春を感じる頃になると、家の中を片付けたくなります。
ここのところ、時間を見つけてクローゼットや本棚の大掃除をしています。不要なものを捨てることは整理整頓のファーストステップですが、この判断がもっと合理的に早く出来たらいいのにと思っています。
捨てるべきものを救済しようとするから、問題が起きる。
不要になったものをサッサと捨てられたら、もっと大掃除は早く終るのに、といつも思います。
結局一番時間を取るのが、不要になったのに何とか活用しようとしている手間なのです。この時に油断していると、捨てたはずのものが又戻ってくる時もあります。要注意です。
今回、捨てる決心がつかなかったのは、全く使わなかった問題集、小さくなった服、合う服がなくてほとんど着なかった服などです。どれも新品に近いけれど、もう使うことはなさそうです。
「もう使わない、即ゴミ箱」と出来ればいいのですが、「まだ使えるもの」を捨てるのは忍びないです。大げさに聞こえるかもしれませんが、ちょっとした勇気が要るくらいです。
結果、「今度Aさんに会ったらあげよう」「アマゾンで中古で売ろう」「バザーとかフリマに出そう」と包み直したり、汚れを取ったりと、一手間かける事になります。
この時間がなくなれば相当掃除時間は短縮されていたはずです。
何のために使えるものを捨てるのか?
使えるものを捨てるって、結構「攻め」のポジションだなと思います。
私は自宅でする仕事もあるので、仕事中に30分も物探しに時間を使うと、その30分で出来たはずの仕事は出来なくなってしまいます。自宅だけど残業するか収入を減らすことになります。
極端な話、クリップや輪ゴムのように、自分の時給より遥かに安いものが邪魔で必要なものが見つけられないなら、捨ててしまって、また必要な時に買い直した方がいいのです。捜し物をする時間を働くことに使ったほうが合理的です。
「捨てる」という選択肢は、捨てることで出来た余裕で何かを得たい、そんな攻めの気持ちが無意識に働いている気がします。
「捨てないで、とっておく」に働く心理。
一方、「捨てないで、とっておこう」と思うのは、どういう心理なのかなと考えました。
取っておいたら、もしかして使う時がくるかもしれません。または何か他の使いみちに使えるかもしれません。
そうなれば、将来の出費をしないですみます。「しないですむ」は守りの姿勢だと思うのです。
それを買うのにかけた時間やコストがもったいない、という気持ちも働きます。
どちらも失ないたくないという気持ちの現れです。
失いたくない気持ちって強烈です。私もウッカリしてるとすぐに飲み込まれそうになってしまいます。
全体のバランスが大切。
整理整頓や片付けの最終目標は「ハッピーに過ごしたい」なんだと思います。
最終目標をいつも意識していると、「まだ使える物を捨ててでも、空きスペースを作ったら仕事の効率があがる」「片付いた部屋にいる時間が何よりも癒されるから、多少の勿体なさは覚悟する」と、いい判断が出来そうな気がします。
私はもっと具体的に考えるようにもしていて、「誰かにあげたり、買ってもらう準備に、自分の時給×かかる時間の価値(例えば1時間かかる)を感じなかったら、それは捨てる」と判断する時もあります。
「攻め」と「守り」のバランスは人それぞれ違っていいと思います。
自分は今、過剰に守りに入ってるとか、思い切って捨てるけれど、その分がんばって働こうなんて、ちゃんと自分の状態を自覚できるとスムーズに片付けが進むような気がします。