私達は助け合うように出来ているのかな?得意不得意は必然なのかも。

昨日書きかけて放置していたブログです。読み返して、わざわざ書くほどの事かなとも思ったのですが、やっぱりこのメモは、その瞬間の私なので残しておきます。

頼みごとって難しい。

人にものを頼むのは苦手です。助けてほしいのに言えなかったり、または頼んでみたものの「図々しかったかな」と不安になったり。

頼まれごとも難しいです。手伝ってあげたいけど自信がなかったり、色んな事情で気持ちに応えられず罪悪感を感じたり。

そんな頼みごと周りの気持ちを、もう少し楽に出来たらいいな、なんて思うことがあります。

助け合うことでむしろ大きく成長できるなら、苦手や得意があったほうがいいかもしれない。

苦手なこと、うまくいかないことの大半は自分の癖や行動パターンと結びついていて急に出来るようにもならないし、何度も同じところで引っかかってしまいます。そして世の中には、自分が四苦八苦している事をあっという間にこなす人がいます。

人に苦手や得意があるのは当たり前で、もしかして私たちは、誰かの助けを借りなければ前に進めないように少し欠けたり出っぱったりして作られてるのかもしれません。

神様が私たちを、互いに助け合って生きていくように設計してたとしたら?

それぞれの人が、パズルのように欠けたピースを持っていて、そのピースを持ってる人と一緒に世の中を作っていくのが自然の仕組みだったら?一人では解決しないことでも、誰かの知恵を借りることで自分では予想もつかない新しい道が開けたり、むしろ「出来ないこと」は外へとつながるための扉の様に思えるときがあります。

何もかも出来る人もやっぱり何か欠けている。

そう考えると、誰の手も借りないで何でもできる人は新しい出会いや発見のチャンスをみすみす逃しているかもしれません。私がそう思うのは、どんなに優秀でも一人の体験には限界があって、成功も失敗も含めて色んな体験をした人のほうがいいと思っているからだと思います。

その人は他人に助けを求める必要はないけれど、すすんで誰かに手を貸すことで新しい課題を見つけたり、そこにはたくさん自分が成長するチャンスがあります。

それは、どこにも通じてない池は水が淀んでしまうけれど、外とつながっている池は絶えず新しい水が色々な滋養や生き物を運んで豊かな場所になるイメージが近いかもしれません。

他人の考え体験に関わる場には、次のステップに進むための欠けたピースがあるはずです。

助けたり助けてもらって、ありがとうの気持ちをやり取りして、そうやって全体として世の中も自分も良くなっていくっていいなと思うのです。

ちょっと頼み事をするのが楽になった。

今のように考えるようになって、頼み事をしたりされたりもいいものかも・・・と思うようになっています。だからといって今日からいきなり頼み事達人になったりはしないけれど、少し気持ちが楽になってきているように思います。

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