セブの語学学校サウスピークでは、ライティングの練習をしたくて、時間割もライティング重視で組んでもらっていました。
発音や会話力アップで評判の高いサウスピークで、どうして私がライティングを一生懸命やっていたのかという理由と、英語エッセイの書き方の基本をまとめました。
英語が出来ても評価されない?
英語をなんのために勉強するのかというと、人それぞれの目的、「仲良くなりたい」「外国に職を得たい」「仕事をスムーズに進めたい」等、色々あると思います。
単純に英語が出来るようになったら「説得」や「交渉」は出来るのか?「信頼」って勝ち取れるのか?と注意して見ていると、その目的を叶えるためには別の力も必要だと分かってきました。
その別の力というのは「英語話者に理解される思考表現」とも言えて、それを知らないと自分の考えが上手く伝わりません。
もちろん英語の力は必要で、語学力と思考表現はどちらもなくてはならないものです。
ちょっと古い例でどうかと思いますが、1980年台にニューヨークでアメリカ人教師が親の海外赴任で渡米してきた日本人児童達をNo Ability(能力がない)だと評価して、「批判的・探求的・分析能力がない」ので、学習障害を疑ったという話は、私が「英語話者に理解される思考表現」を身につけたいと思う動機をうまく説明してくれていると思います。
出典: 納得の構造
そして、論理的思考の表現は英語圏の人も自然に覚えたのではなくて、学校でのライティングの授業で身につけていきます。
日米の思考表現の違い
どうも英語のライティング(まとまった文章の書き方)は、日本のそれと違うようだと思って色々と本を探して見つけたのが、この本です。サブタイトルが「日米初等教育の思考表現のスタイル」となっていて、日米の違いが分かりやすくまとめられています。ちょっと出版年が古い本なのが残念。どなたか他に新しくていい本を知っていたら教えていただきたいです。
この本には、日本の文章の構成は、時間の流れ、感情表現を重視するもので、アメリカでは全ての物事には原因があるという考え方で、根拠や因果関係を大切にした構成になると書かれています。
ふんわりした日本の文章は認められない。
私自身、学校で「文章の書き方」をしっかり習った記憶がないのですが、どうも日本の作文の教え方は情緒的と言うか、ふわっとしている気がします。文章を書くことを通して、何かを人に伝える技術や論理的思考を育てることはあまり意識されてなくて、「その時の太郎の気持ちになって書きましょう」と感情重視です。文の締めくくりも何となく道徳的なことを書くと、OKがもらえていた記憶があります。
そんな教育を受けてきた日本人が、英語圏へ行って「根拠や分析、主張」を求められても、急には出来ないだろうなぁと思います。別に考える能力がないわけではなく、慣れていないだけで過小評価されるのは、本当にくやしいです。
英語のライテイングの基本
英語のライティングというのは、まずその文章の主張(言いたいこと)が最初にあり、その主張を支えるボディ(根拠や実例)が幾つか、そして最後に締めくくりの段落があって、そのスタイルが厳密に決められています。
1段落は1トピックと決まっていて関係ないことは書きません。慣れると型を守るのはそんなに難しくありませんが、今まで全く構成を意識したことがないと、少しきゅうくつです。
エッセイはこう、物語はこうと文章の目的によってフォーマットが決められています。各自が自由に意見を書くので、一見型にはまっているように見えますが、実はバラエティに富んだ内容になるそうです。
セブで毎日のように英語エッセイを書いて、英語エッセイのスタイルに慣れてきた。
日本では何冊か英語エッセイの書き方の本を読んでいたのですが、なるほどと仕組みが分かっても、実際に書いて練習する必要があるなと思っていました。
「分かった」から「できる」になりたくて、サウスピークでライティングの課題を多くこなしましたが、フィリピンの英語の先生たちもエッセイを書き慣れているのか、「ここはThesis(テーマや主張)を書くところ」「この接続詞は適当じゃない」など、文の構成もしっかり教えてくれました。
論理的思考や英語のライティングスキルは、自分自身が上達したいと思っていましたし、教える立場としても必要な知識だと思っているので、セブで集中的に練習できて良かったと思っています。