この人にしよう!は自分が意識してないところで決まったりする。佐藤可士和さん:著 『佐藤可士和の打ち合わせ』を読んで。

少し前に出た佐藤可士和さんの「佐藤可士和の打ち合わせ」を読みました。

その中で「うーん、確かにそうなんだよな。」と思う事がありました。

佐藤可士和さんは面接で何を見ているのか?

本の中で可士和さんは、新卒の採用をする時、実は作品の中身よりその提出の仕方を見ていると言っていました。

それよりも、どんなファイルに入れてくるのか(古びていない、キチンとしている等)、渡す時に可士和さんが見やすいような方向に向けて出すのか、つまりは大切な相手に対面した時に、相手がどんな印象を持つのか作品だけでなく全ての方向から意識できるのかを見ているらしいのです。

学生が作った作品の出来など、実は人によって大きく変わらないので重要視しない。けれど、自分が置かれた場を俯瞰して見れるのか、相手の立場を想像出来るかは、その後の仕事人としての成長に大きく関わると考えているそうです。

面接で可士和さんのところへ行った学生さんは、可士和さんがそんな判断をしているなんて想像していなかったんじゃないかと思います。

この人にしよう。という最後の決断は、全然別のところで決まったりする。

これを読んで、確かに、私も似たような判断をすると思いました。

今までに何かを人に任せたいと思った時、決め手になるのは大抵「無意識にやっている行動」です。なので、全然頼みたい事と関係のない場面で目にするのですが、こちらに意識的に見せているわけではない日常の所作なので、その人の「素」がよく見える気がするのです。

ある時は、食べている姿だったり、携帯をいじっている姿だったり、モノの扱いだったりします。

そして、キレイだからいいとか、丁寧だからいいとか、そういうものでもないなぁと思います。

突然、あ、「この人は私が必要だと思っているものを持っている!」と直感的に思う、そんな感じです。

自分で自分に誠実に振る舞うしかないのかなと思う。

意外と人は自分が意識していない方向から自分を見ているのではないかと思います。

ひるがえって、自分はどうか?というと、いつもいつも人にほめられるような立派な自分ではありません。

自分の無意識の行動がいいと思うのか、悪いと思うのかも、相手次第のところもあるでしょう。

だったら、自分は自分に恥ずかしくないように振る舞うしかないのかなと思います。見せるためではなく、自分のために努力する。それで他人がいいと思ってくれたら、飾っていない自分を受け入れてくれているという意味でもハッピーじゃないかなと思いました。


佐藤可士和の打ち合わせ

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