人と話していて、自分の「真面目な性格」に気づく時があります。この場合は、どちらかと言うと「真面目すぎる」とマイナスのニュアンスです。
最近、そんな事を言われて「そう言えば、真面目って言われるの、これが初めてじゃないな。」と思い出しました。
それを言っている相手には迷惑がかかっている事はないし、その人にとっては重大な事ではないので、「しょうがないねぇ」「面白いねぇ」位で言っているんですが、ちょっとばかり凹みます。
何となく、融通がきかないねとか、深刻に考えすぎてるよ、と言われているように受け取ってしまうのです。
自分の中には、不真面目だったり、お調子者なところもあると思っているので、ちょっと心外でもあります。他人に対しても、どちらかというと真面目じゃない人、融通が利くとか、柔軟とか、面白い、そういう人が好きだし、適当、ふざけてると言われる人も実は嫌いじゃないのにな。
自分の普通は自分で気づかないし、変えられない。
私は普通に考えて行動しているのに、人に「真面目だね」と言われると、「えっ、これって普通じゃないの?」とハッとします。
呼吸するようにしているので、何処がどう真面目なのかも今ひとつピンと来ない。それぐらい私にとっては自然なので、自分では気づかないし、気付かないものは、変えようもありません。
昔は「真面目って言われるの、嫌だな、変えたいな」と思っていたのですが、ある事を思うようになって、「真面目なのも悪くない」と、自分の性格にOKが出せるようになりました。
色んな人がいるから、世の中は面白く、助け合える。
若い時は、評価される性格というものがあって、自分もそうなっていかなくちゃと思っていました。明るいとか、リーダーシップがある、優しい、などなど。
でも、反対の性格が悪いかというとそうではなくて、明るくなくても一緒にいるとホッとするとか、人を影で支えるのに長けた人など、うまくハマればそれは長所にもなると実感するようになってから、世の中には色んな人が必要だと思うようになりました。
そう思うと、私と違う性格をもった人がいてくれて良かったと思うし、自分も価値があるんだと人にも自分にも安心感が持てるようになりました。
性格に良し悪しはなくて、大切なのは、それをどう使うかという事。
私の考えすぎる性格も、うまく使えば失敗を避けたり、人が気が付かないことに気づいたり、結構重宝することもあるんです。
そう思うようになってから、真面目だねぇと言われても、あまり気にしなくなりました。
私なりに身につけた、自分へのOKの出し方です。
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