文字の認識が弱い子どもさんの中には、鏡文字を書く子もいると聞きます。文字認識に問題がなくても、鏡文字は幼い時にあっても。年齢とともに消えていく特に珍しくない現象です。文字の認識が弱い場合は、それが消えない、または消えるのが遅いと理解しています。
私自身の生徒さんで鏡文字を書くお子さんには出会ったことがないので、どういったメカニズムなのかなぁと考えていたら、自分自身が鏡文字を書いていた時の事を思い出しました。
鏡文字を書く人が全て同じ感覚なのかは分かりませんが、私自身の記憶について書こうと思います。
(鏡文字を書く人は左利きが多いそうですが、私は右利きです)
多分4~6才のころ。「あ、逆だ。」と思った記憶。
私の実家は家業をしていて両親ともに忙しかったので、子供の頃は勉強を教えてもらう事はありませんでしたが、代わりに仕事場で遊んでいて良かったので、よく大人に混じって事務机に座って工作やお絵かきをして遊んでいました。
その時に、自分が書いた文字を見て「あ、逆だ」と思ったことを鮮明に覚えています。
多分4~6歳で、文字を教えてもらってはいませんが、折り紙の折り方の本に書いてある文字が自分の名前だと知っていました。それで、ちょっと大人っぽく自分の名前を書いてみようと思って他の持ち物にペンで名前を書いてみました。
「かずよ」と書いて、折り紙の本を見直すと、「ず」と「よ」のマルが反対を向いていました。あれ?なんか違うな?と思って、じーっと見るとペンを回してマルを作るのが逆なんだと気づきました。
すごく年齢が低かったのですが、「間違えて書いた」と気づいた瞬間なので、鮮明に覚えています。
だからといって、すぐ正しく書けるようになったのではなく、その後も名前以外の字でも同じ間違いを繰り返していて「また、違う」と、しばらく思っていたのも覚えています。
なぜ鏡文字になったのか?
その頃の記憶では、文字は一つ一つが絵のように見えていました。しかも、何となくしか覚えられなかった気がします。左右の感覚もほぼありませんでした。
「こんな感じの絵」という、あやふやな記憶で文字を書くので、マルが左右逆だったり、文字を組み合わせた変な漢字も書いていました。例えば「字」と書きたくて、「ウかんむり」は合っているんだけれど、「子」の代わりにちょっと似た文字の「る」を書いてしまうという感じの間違いです。
その後、小学校に入学し、書道教室に行くようになりました。辺、旁はマス目のどこに書くのか?など幾つかのパーツをバランスよく配置するという事を習って、文字は幾つかにグルーピングされたパーツの集合体だと認識するようになりました。
そうやってグルーピングすることで、全ての文字を初めて見た絵のように記憶する必要もなく、同じグループの共通点を使って覚えればいいので、記憶するのが楽になりました。また、このパーツはこの辺りに書く、と分かっているので字形のバランスも良くなりました。
私の場合、鏡文字は見え方の問題ではなくて、記憶の不確かさが原因。
私の場合は、逆さまに見えているのではなく、「こんな感じ」とあやふやな記憶で書いているのが鏡文字の原因だった気がします。
その後、マス目が四分割された文字の練習ノートに沢山書くことで字形のルール(ある程度共通したルールがあります)を覚えて、正しく書けるようになったと記憶しています。
鏡文字をどうして書くか、子ども達に聞いても多分「よく分からない」としか答えようがないと思います。ですが、私のようなパターンもあるんだなと思うと、どんなアプローチで文字を教えてあげるか考えるガイドになるかもしれません。