昨日、懇親会の余興で「本の交換会」をしました。読み終わった本を持ち寄って頂いて、ゲームっぽくお互いに本を交換するという趣向です。
その懇親会の幹事さんをやらせてもらったので、昔、小学生の読書教室の先生をしていた時に、イベントとして「本のばくりっこ」をしていたのを思い出して、大人版「本のばくりっこ」を提案してみました。北海道の人は「交換する」ことを「ばくる」と言う時があるんです。で、「とりかえっこ」のことを「ばくりっこ」という音が可愛いなぁと思って、「本の交換会」をするときはワザと「本のばくりっこ」と言っています。
おっと話が横にそれました。その時に感じた紙の本の良さについてのお話です。
紙の本が読まれなくなってきた。
自分の周りでも電子書籍を読む人が増えてきたのを感じます。私も前は電子書籍は好きではないと思っていたはずが、いつのまにか色々な端末に入った電子書籍を読むようになってきました。
デジタルになってしまうと、触った感じや匂い、重みなどが画一になってしまうので、どうも記憶に残りにくいと思っていたのですが、それよりも便利さが圧倒的に勝るようになってきて色々な不満に目をつぶるようになってきたように思います。
端末さえあれば何冊でも持ち運べ、買うときも一瞬で手に入る。画面の明るさや字の大きさも好みになってくると便利さでは圧倒的に電子書籍の方が上になってきました。
物としての本が好き
それでも物としての本というものにとても惹かれます。昔むかし、修道院でひとつひとつ手書きで書かれた祈祷書を何度か見る機会がありましたが1ページ1ページが息をのむほどの迫力がありました。本は限られた人しか見ることの出来なかった宝物のような時代がありました。
元はただの紙なのに、字という記号が書かれると全く別の価値が生まれるのが不思議です。もしかしたら誰かの人生や考え方を変えるくらいの事が書かれているかもしれません。国の歴史を変えるくらいの思想が書かれた本も物として考えると、ただの紙なんだと思うとすごいことだと思ってしまいます。
「本のばくりっこ」をして
たくさんの本が読まれたら捨てられてゆきます。私もこれはと思う本以外は捨てていきますし、そうしないと重くてかさばって仕方ないのですが、なんだかもったいないなと思います。まだまだ誰かに読んでもらって「読んでよかった」と思ってもらえるかもしれないのにな。
昨日の本の交換会では、一度テーブルの上に本を積み上げて、それぞれどの本がいいか自由に手に取る時間があったのですが、それを見ていて電子書籍はこうはいかないなぁと思いました。
電子書籍は姿がないので、捨てる必要がないのは良いですが、お互い何を読んでいるか目にする機会もぐっと減ってしまいますし、手に取って装丁や本の感触を楽しむ機会は全然なくなってしまいました。
現物があるからこそですが、こうやって色んな話をしながら、その本と縁がなかった人の元に新しく本がいくのはとても素敵に思えました。自分が読むはずのなかった本ですが、何か「へー」とか「おぉ!」とか思うことに出会うかもしれません。
すこし最近忘れていたけれど、紙の本もいいんだよなぁと思ったお話しでした。