20代の頃、イタリアの美術修復学校の古美術科で室内装飾の歴史を勉強していた時期があります。
そのクラスは、アンティーク商になるための基礎コースだったので、家具や陶器や織物の他に絵画・彫刻も勉強しなければなりませんでした。
学期末に試験があるのですが、その試験勉強を通して気がついたことが今も忘れられないので、そのことを書こうと思います。
写真を見て、作者・年代・場所などを答えていく試験。
普段の授業では、数十枚のスライドを見ながら、先生から作者や時代、特徴について説明があります。陶器も家具も、全て同じような感じで授業が進められますが、分かりやすいので絵画のクラスを例にとってみます。
勉強するのは主にイタリア絵画ですが、地続きなヨーロッパは文化も関係しあっているので、他の国も含めて、とにかく沢山の絵を見せられます。それと一緒に、その絵の背景や特徴を習うので、体系的に頭の中で整理されていきます。
それまで絵に対しては「好き、嫌い」ぐらいの違いしかなかったのですが、徐々に細かな違いが分かってきました。
期末試験はいつも面接です。授業で見た絵の中から3~4枚が出題されて、その絵の時代、描かれた場所、作者または誰の弟子かを答えるというものでした。
全てが有名な絵というわけではないですし、なぜそう思うかも答えなければならないので、毎回試験前は戦々恐々でした。
大量の絵を見る試験勉強。
試験前は、授業ノートを横に置いて、図書館で大量の図版を見るのが勉強でした。とにかく見る。何回も見る。
絵だけを見て、「時代・場所・作者・特徴」を当てるというクイズのような事を繰り返しやっていました。
その内、「ルネサンス後期、場所はフィレンツェ、レオナルド・ダ・ヴィンチ・・・の工房の誰か。そう思うのは、ダ・ヴィンチの特徴の陰影があるが、色使いがそのころのダ・ヴィンチと少し違うので本人ではない。」みたいな事を言えるようになってきます。
鑑定の初歩の初歩なので、そんなに難しいものは出ませんが、それでも勉強なしでは歯がたたないような試験でした。
見比べる事を繰り返すと、私にどんな変化が起きたか?
大量の絵を見ていると、ある時、この絵は作者Aと全くそっくりだけど「何か違う・・・」と思うようになります。その頃は画家は徒弟制だったので、弟子は師匠の絵を真似して絵を学ぶということもよくありました。贋作を作るつもりでなくても、そっくりに描かれた絵も沢山あったのです。
この、「何か違う」という感じは、上手く言葉で説明できない違和感で、後々よく考えて見れば、沢山の絵を見ることで、もっと細かい情報を拾えるようになったことが「違和感」という感じ方になったんだなと思います。
最初は上手く口では言えないんです。絵の具の乗っている量感とか、トーンが青っぽいとか、線の勢いとか。
試験では、それを先生に伝えなければいけないので、その違和感を言語化する練習も知らす知らずにしていたのですが。
この「なんか違う」という感覚は日本で感じたことがなく、後々までずっと「面白かったな。あれは何だったんだろう?」と時々思い出す事柄となりました。
英語を教え始めて、分かったこと。
英語を教え始めて、もっと上手く教えたいなと探っているうちに、ワーキングメモリ・モデルを知りました。
その時、「ああそうか、イタリアで自分は視空間の記憶力を使った勉強をしていたんだ。」と気付きました。沢山の絵を見ることで細かい違いについての記憶が蓄積されて、違和感という形で感じられるようになったのでしょう。
思ってみると、日本にある勉強のやり方は言語を使って覚えたり、思考するものに偏重しているので、そのイタリアでの勉強がひどく新鮮に感じられたのだと思います。
私が、視覚や色々な経路を使った勉強の仕方について興味を持ち始めた発端は、この経験が印象に残っているせいなのかもしれません。