ここ数年、夏の野外フェスに行っているのですが、今年は岩見沢市のジョインアライブに行ってきました。
野外で音楽を生で聞くと、普段気付かないことを考えたりしていいですね。
今日はその時に思ったことを書きます。
ここ最近気を配っていたのは、伝わる文章。
ブログを書くようになって、気を配っているのは「伝わる」文章を書くことです。「伝わる=読みやすい文」を書く作業は、私にとっては「意識的で頭をクールに使う」作業です。
読みやすく、誤解がない表現とはどういうものか?自分が伝えたい事は過不足なく伝わるにはどう書いたらいいか?そんな事を考えながら書いていました。
時々は上手くまとめられず、うんうん言いながら書いたものを殆ど消して、使ったのは2割ほどという時もありました。
そうこうしながら、少しづつは書くのに慣れてきて、いつの間にか「文章=分かりやすく伝える」だと思うようになっていた気がします。
歌詞に心を揺さぶられる。
他にすることもなく、集中して歌を聞ける環境にいると、普段は聞き流している歌詞にぐっと心を揺さぶられたりします。
歌詞に使われる言葉は、その単語自体は馴染みのあるものばかりなのに、旋律と他の言葉との組み合わせで、悲しくなったり、忘れていた景色を思い出したり、大きく心が動きました。
それは決して嫌なことではなく、むしろ乾いたスポンジに水が染み込むような、そんな気分を味わいました。
周りの人も同じく、歌のなかの言葉に心を動かされているようで、そんな言葉の使い方も必要だったなと思い出す機会になりました。
余白の多い言葉と少ない言葉。
「分かりやすい文を書く」という事を意識していると、受け取り側が想像したり、自分で補って考える部分が少なくなってきます。なるべく受け手の負担が少ない文ほうが、内容が伝わるからです。
言葉を変えると、分かりやすい文は余白の少ない文と言えるかもしれません。
一方、歌詞などは聞く人がどのようにも想像できるように余白部分が多いような気がします。その余白に自分だけの体験が思い起こされて、気持ちもそれに連れて思い出されるのかもしれません。
実は普段ブログを書いていて、何か書き忘れているような気がしていたのですが、自分の中の感覚的なものを出せていなかったのに気づきました。忘れていたというよりは、少し息苦しかったのかもしれません。
今回の経験で、分かりやすいばかりが文章の価値ではないと思いました。自分の中にどうやらふわっとした感覚的なことを考えている自分もいるので、それは余白の多い文章として外に出せばいいのか、と思いました。
今まであまりブログで感覚的なものを書いてこなかったので、出来るかどうか分かりませんが、時々はそんな文章も書けるといいなと思います。
普段歌を聞く時は、何かしながらというのが多く、集中して聞いている時
余白の多い言葉は心を動かす