イタリア人がおしゃべりなのはイタリア語のせいだと思う。

私の人生には方言も含めて、何度か使う言葉を変えるタイミングがありました。

最初は大学に入るため関西から東京に行って標準語を覚えた時。それからイタリア留学中はイタリア語。英語は断続的だけれどちょこちょこと使う機会があって、その時もこれから書くような違和感を感じることがありました。

その違和感は別の言語を話している時の「私なんだけど、私じゃない。」という感覚。言葉が変わると、表現できない気持ちがあったり、人から見た私の雰囲気さえ少し変わるようなのです。人の性格や雰囲気は使っている言葉に影響されるかも?という話です。

関西弁で表現できる気持ちを表す言葉が標準語にはない。

上京して、関西弁から標準語へ変えたのもカウントに入れるの?という気もしますが、私にとって言葉の壁という意味では標準語はちょっとした外国語でした。

関西弁で言えていた感情が、標準語だとしっくり来ない。親愛を込めて「あほやなあ。」というのを「バカじゃない。」と言うと全く意味が違ってしまうのに戸惑っていた、そんな感じでしょうか。

いや、そんな事を言いたいんじゃないんだ、と日本語でありながら上手く自分の気持ちを言えなくてストレスだったのを覚えています。

慣れるに従って、関西弁で自然に表現していた感情は感じることが少なくなっていきました。その代わり、すこしよそ行きの言葉で表す感情(それは東京での人との距離感にしっくり来ました)に置き換わって言った気がします。冷たい訳ではないけれど、ベッタリもしていない東京に相応しい感情なのかもしれません。

今は関西弁はめったに使わないけれど、関西弁で話すと本音がすっと出てくる感じはあります。関西弁は本音を出しやすい言葉だと思います。

イタリア語は歌うように話す。

「イタリア人って、なんでこんなにお喋りなんだろう?」と思うくらい、イタリア人は話し始めるとずっと話しています。

ところが、少しイタリア語が出来てくると自分も同じように「べらべら」話し始めるようになりました。

イタリア語の音感というかリズムに乗ると、次から次へ言葉が出てくるのです。

買い物一つするのも「良いチーズはある?フレッシュで淡白なのがいいかな。ああ、それがいいな。そう言えば私のルームメイトの好きなチーズは・・・」みたいに、どうでもいいことまで延々と話してしまう自分が可笑しくてたまりませんでした。

時々、イタリア人に「あんた、日本人だけどお喋りだね。」と言われることもあって、「イタリア語だと止まらないんだもん。」と不満に思うこともしばしば(^_^)。

イタリア語を話すのは、ちょっと歌うような感じ。そのリズムに乗ると気持ちよくて止まらなくて、「だからイタリア人はお喋りなんだ。」と納得していました。

超個人的な見解ですが。

「話す言語によって、話す内容や感情、性格が影響を受ける」のでは?と思った体験は、他の人と話し合ったことはなくて、自分一人で、そうなんじゃないかな?と思っていたことです。

日本語以外の言葉を使っている人って、そんな事を感じたことはあるのかな?

ふっと思い出したので書いてみました。

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