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英語を使うコツは落語を演じるコツと驚くほど似ています。<出来ない自分を受け入れる>

英語を使うコツは落語を演じるコツと驚くほど似ています。<出来ない自分を受け入れる>

落語が出来るようになりたいと、1年以上落語サークルに足を運んでいましたが、とうとう舞台デビューしました。

私が、落語とは・・・と語るなんて、100年早いのは重々承知ですが、それでも未経験から話を一つ演じるまでを英語との関係でアレコレ考える人も少ないだろうと思うので、書き残しておこうと思います。

そもそも私が落語を始めたのは、英語落語を自分の生徒に教えたいと思っていたからです。英語はいいとして落語の所作がどうにも自信がなくて教えるのに二の足を踏んでいました。英語落語を自信を持って教えるにはもっと落語を知らなくちゃだめだ、そう思って落語サークルの門を叩いたのが始まりです。

やってみると、落語は言葉の学習に通じる所があって奥深いです。

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舞台の上は自分しかいない。

幾つになっても、人前に立って何かを話すというのは緊張します。特に大勢の見知らぬ人の前で話すのはなおさらです。

落語の舞台は、たった一人の演者が大勢の前で、高座という舞台より高いところから話します。広い舞台の上のさらに高い場所に座って、スポットライトを当てられると何がなんだか分からなくなります。

それでもやっぱり少しでも上手にやりたいと思っていました。一つでも「あの人の話のここは面白かったね」と言われたいじゃないですか。間はこういう風に取ろうとか、こんな身振りをしようとか、事前にはあれこれ考えていたのですが、終わってみると一つも出来ていませんでした。

一番恐れていたのは、壇上で頭が真っ白になって次のセリフが出なくなることでした。そうなったら誰も助けてはくれません。舞台の上ではたった一人です。セリフが飛んで、長い沈黙。焦る自分・・・。考えれば考えるほど恐ろしくなってきます。

あ、言葉を覚える時といっしょだな。

そんな緊張の中、ふと思ったのは外国で暮らしはじめて言葉が通じなくて困っていた頃の自分の事です。

イタリア留学を始めて少しばかりすると、住まいの近くに顔なじみのご近所さんや店員さんが出来てきました。仲良くなると向こうは色んな事を聞いてくれます。ほぼイタリア語を話せないで行ったので、簡単な事は答えられますが、すこし話が込み入ってくると思うように言いたいことを伝えられません。頭の中は大人なのに、言えることは幼児レベルです。

何を勉強しに来てるの?と聞かれて、頭の中では「日本ではインテリアの仕事をしていて、勉強するならイタリアか北欧がいいよと先生に言われて、イタリアの建築系の専門学校に入ろうと思って来たんだけれど、やっていることは日本と同じで、それは予想外で困って、今はあちこち学校を探して歩いている。知っていたら、いい学校を教えてもらいたい」と言いたいのに、自分が言えるのは多分「インテリア勉強する。日本でやってた。」みたいな感じで、相手もよく分からないけど愛想笑いをしてくれる。そんなことの繰り返しでした。

違うんだよ。頭の中ではもっと色々なことを考えてるの。私、日本語だったらちゃんと話せるのに。

なんだか自分が自分でなくなったみたいで、情けなくて恥ずかしくて、一人で何度も泣きました。だけど、誰が助けてくれるわけでもありません。逃げて帰るか、がんばるかは自分次第。

そのうち「出来ないんだからしょうがない。出来ないんですって腹をくくって、幼児レベルから始めよう。」と思えるようになりました。自分でも変なイタリア語だなぁと分かっていても必死に話して、間違っていたら教えてもらうのが段々当たり前になっていきました。

その体験は強烈に残っていて、「言葉を覚えるのって、カッコ悪い自分を分かっていながら、それを受け入れるのが出発点」と思うようになりました。

「私、これくらいしか出来ません。でも○○したいから出来る限りを出します。」という感覚

落語の舞台に上がる前も同じで「私が下手なのは自分でもよく分かってる。(多分お客さんだって期待してないし)でも、今日は舞台に上がって、この話って面白くない?ってみんなに聞いてもらいたい」と、スパッと腹をくくることが出来ました。

案の定、詰まったり間違ったりしたのですが、終わってから「度胸あるよね~。」と褒めて頂きました。(褒められたのが中身じゃないところがミソです)
初めての時はもっと緊張して硬くなったり、声が小さくなるんだそうです。

ひるがえって、私が教えてきた生徒さん達の中には、失敗したくない、安全なところから出たくないと思っている子どもが驚くほど多いです。文法が出来ても発音が良くても、それじゃ伸びないし、実際に英語を使い始めたら多分すぐに傷ついて逃げ出してしまう・・・。

外国語を使うということは、伝わらなくてナンボ、出来なくて当たり前。それでも伝えたい、なんとか目的を達成したい(仲良くなる、聞きたい情報を得る、合意を取り付ける等)から拙くても頑張るということなのだと思っています。私には、それでもやり続けた先に上達があるんだという実感があります。

出来てないなぁ、カッコ悪いなぁ・・・と自覚しつつ、その時に自分に出来ることをやるしかないという感覚は落語も語学も同じだなぁと思います。

 

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ニコ

ニコ

札幌市を中心に、英語レッスン、インテリア・収納のご相談を承っています。このブログは、ことば、暮らし、読み書きについて書いています。楽しく書いていきたいです。詳しいプロフィールはこちら。

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