年末年始に、国語辞典編纂者の飯間浩明さんが解説する紅白歌合戦についてのツイッターが話題になっていて、すごく面白いなぁと思って拝見していました。
紅白歌合戦の国語的解説も面白かったけれど、今日は飯間浩明さんの考える「ことばが通じない人」の判断基準を読んでいて、思ったことを書きます。
飯間浩明(@IIMA_Hiroaki)さん | Twitter
言葉というものは、そもそも通じない。
ことばというものは通じないものです。あなたの頭の中で考えたことを、100%相手に理解してもらうことはそもそも不可能。それでも、何とか伝える方法を考えたい、というのが私の希望です。ただ、社会生活上、「ことばが非常に通じにくい人」を見極めることも必要です。その判断基準を挙げてみます。
— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2017年1月5日
「うんうん」と頷いてしまいました。私も数年前まで気づいていなかったけれど、言葉という道具は完璧ではないと思っていたほうが気楽です。
ことばの通じない人というより、自分との隔たりが大きい人。
その後のツイッターで飯間さんもおっしゃっていましたが、うまく相手に話が通じないのは自分との言葉の使い方の差異が大きいのだと思います。
この日のツィッターで飯間さんが挙げた「ことばが通じない人」の例が3つありました。
- 語句を理解しない
- 語句の意味の理解が不正確
- 表現意図を理解しない
例えばこんな感じです。
ことばが通じない人(1)語句を理解しない
例1)
A「ボルダリングやってます」
B「何ですかそれは」
例2)
A「時系列で考えてみましょう」
B「時系列とは?」
※双方の持つ語彙(の量)が大きく異なる。話し手は、相手に分かる語句を用いるべきですが、語彙の隔たりが大きいと大変です。— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2017年1月5日
理解できる語いが多いほど世界は広がるし、伝える時の語いは出来るだけ簡単にした方が言いたかった事がズバンと相手に伝わります。
知らなかった言葉や難しい言葉は、自分が普段使っている言葉に直すと何になるかと考えておくことは、人に伝える時に役に立ちます。
普段の生活だと使う言葉は限られるので、語いを増やすためにも本を読むって大切です。私が英語を教えている子ども達にも「本は読んだほうがいいよ」と全力で言っちゃいます。もちろん違うフィールドの人の話を聞くことや映画なんかも同じで、普段の生活から離れて新しい言葉と出会う機会は多いほどいいと思います。
自分と相手とで、言葉の捉え方があまりにも違うと困る。
ことばが通じない人(2)語句の意味の理解が不正確
A「うちの親、たびたび電話してくるのよ」
B「毎日は迷惑だね」
A「毎日じゃないんだけど」
B「『たびたび』って言うから毎日かと思った」
※語句の意味を自己流に解釈する。「言ってないことが言ったことになる」のはこのパターンです。— 飯間浩明 (@IIMA_Hiroaki) 2017年1月5日
言葉の意味の解釈の仕方が大きく違うと、本当に困ります。どちらの解釈がいい悪いとも言えなくて、あまりにも自分と相手の持っている頭の中の経験が違いすぎる時にも起こります。
ただ、子ども達が国語の問題を解いているのを見ていると、文意を汲まず勝手な解釈をして答えを書いて間違うケースは多くて、訓練しないと正確な解釈って難しいのかもしれないなと思ったりします。
自分と相手の言葉の隔たりの差を意識するクセをつけたい。
コミュニケーションする時には、自分と相手の差異について敏感でいた方が、全く気付いてないより上手くいくような気がします。
語い量(理解できる言葉の量)の違いについては、相手の方が多い時もあれば、自分のほうが多い時もあります。相手が圧倒的に上だった時、自分の事を卑下したり落ち着かなく思ったりしがちですが、単に相手に「簡単に言うと・・・という事?」と聞いて、言い直してもらってOKならそれでいいと思います。相手だって自分の言ったことを理解してほしいはずですし。逆に聞き手に伝わってないなという時は表現を変えると上手くいくかもしれません。
(2)語句の意味の理解が不正確、(3)表現意図を理解しない というのは、これも相手が分かっていないという訳ではなく、「見解の相違」や「経験してきたことの違い」が原因で起きることも多いなという気がします。
そもそも言葉で100%伝えるのは難しいと思った上で、相手が解釈しやすいように調整していくつもりでいると、少しは違うかなと思ったりしました。
普段ぼんやり考えていて言葉にならなかったことが、飯間さんのツィッターを読むことで整理されて、なんだか一歩進めた気分です。