言語化のちから

今日は言語化について話してみようと思います。

心象という言葉があります。誰でもが持っている頭の中のもやもやとしたイメージのことです。例えば「リンゴ」と聞くと何を思い浮かべるでしょうか?

色は何色?形は?匂いは?木になっているイメージ?大好きなアップルジュース?リンゴをむいてくれたお母さんの手?リンゴ?りんご?林檎?

それら全てをひっくるめた「りんご」に関するイメージが頭の中にあります。それが心象です。百人いれば百通りのリンゴの心象があるはず。私たちが言葉を介して情報をやり取りする時、お互いに共通する「赤くて丸い甘いリンゴ」という共通する心象の部分にアクセスしています。

もやもやした心象を言葉に変えるのが言語化

その霧のような、とらえどころのない心象を言葉で表現することが言語化です。私たち日本人は察しあう文化の中で育っているので、あまり言語化の訓練を受けて育っていません。逆に察することが下手だと「KY」なんて非難されてしまいます。

育つ中で、「どう思う?」とか「〇〇ってどういうこと?」といった質問を大人からたくさん受けている人は、自然に言語化が身についています。

言語化できると何がいい?

そりゃ、言語力が高い方がいいに決まってる!のは、その通りなんですが、印象的だった出来事があります。

ある子どもが、私に学校での不満を話しに来ました。よくあるグチではあったのですが、本人はとても困っているというのがよく伝わりました。それは、自分の置かれた状況、何に困っているのか、自分の感情を、年齢の割にはしっかりとした語彙と順序で説明してくれたからでした。

大人から見ると、きちんと伝える事は簡単に思えるかもしれませんが、小学校高学年くらいの年でも何が言いたいのかよく分からない子は結構いるものです。

その子に話を戻すと、私にきちんと困りごとを話すことで、

①私という共感者を得た。アドバイスをくれたり、大変だったねと共感してくれる味方を得る事ができて安心したようでした。

②人に話すことで、感情の整理がついた。話し終わると、すっきりした顔をして席に戻っていきました。自分で、自分はこう思っているんだと確認するだけで、不満が発散できたようでした。

③人に話すことで客観的に自分を振り返って、新しい視点をもった。私に話しているうちに、「あれ、自分はあのとき〇〇と言えばよかったのかな?」という事を言いました。もっと良いやりかたがあったのかも?と思ったようです。

と、起こった事を言語化することで、味方を得て、気持ちを発散し、成長する機会を得ました。

これが、うまく伝えられなかったら「あいつが悪い」「まわりは分かってくれない」と不満をつのらせたままだったかもしれません。

あまり「言語化」という固い言葉は好きではないのですが、「言語化=思いを言葉に出来る」って、大切な能力だと思った出来事でした。

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