ブログを書き始めて、書くことや言葉について考えることが増えてきました。
一人で考えているだけではなくて、詳しい方の考えを聞いてみたいと思っていたら、偶然「書くことのプロ」とお会いする機会がありました。
以前は北海道新聞の記者、現在は幼い3人のお子さんを育てつつライターをされている村上枝利子さんです。
「書くこと」について色んなお話が聞ける気がして、出会ってすぐ、「ぜひ、お食事でも!」とナンパしてしまいました。
そんな唐突なお誘いに快くOKしてくださった村上さん。
思った通り、他の方とは出来ないような話が出来て、とっても幸せな時間でした。
今日はその時に印象に残った事について書いてみます。
良い文章って何ですか?
ブログを書き始めて、ずっと考えていることの一つに「良い文章って、どういうもの?」という疑問があります。
早速、村上さんに聞いてみます。
「うーん」と言いよどむ村上さん。そうですよね、ちょっと抽象的すぎる質問です。食事をしながら、私のブログで良かった記事やちょっと残念だった記事について意見を言ってくれました。
私のブログの場合、サラッと書いた時の方が読んでいてストンと伝わりやすく、頑張って長時間あれこれ書いた記事の方が分かりにくいとの事。
村上さんと話していて、「良い文章」という一つの基準はなく、その媒体によって文章の役割や良し悪しも変わることも分かってきました。
例えば新聞であれば、決まった字数の中で情報を過不足なく伝えること、誰にでも誤解なく伝わる文章であることが大切です。記者によって文章の雰囲気が違いすぎるのも新聞の公共性から言うと好ましくないので、個性的な文章も新聞には不向きです。
対してブログなどのオンライン上の個人メディアは、まず「読まれること」から始めなければなりません。個性的であることは誰かの目に留まる可能性が高まりますし、事実は間違いなく伝える必要はありますが、書くことが主観的であっても構いません。
伝えたいことはあるのか?
文章の上手下手とは別の次元で、「伝えたいことがある」のも大事なんだと分かりました。
村上さんは元々ジャーナリストになりたいという思いがあって文章の世界に入ったそうです。ジャーナリストというとペンの力で社会を変える仕事。村上さんが新聞記者として新人のころ、先輩から「まだ文章は上手くないけれど、文章が上手いだけの人より、村上の言いたい事は分かる」と言われたそうです。文章がまだ荒削りでも村上さんの志はちゃんと伝わっていたというエピソードは、とても印象的でした。
私自身も、他人の文章を読んでいて、構成が分かりにくかったり言い回しが間違っていても心に残るものに会うたび、「つたない文章でも心が動くのはなぜだろう?」とボンヤリ感じていました。
今思えば、そこには「伝えたいこと」がハッキリとあったんだなと気が付きました。
読み手のことを考えている人の文章は、たいてい上手い。
村上さんから、書くことについて色々伺って、書くことって深いんだなと改めて思いました。それが難しくもあり、面白いなぁと思います。
その中で心に残ったのが「読み手のことを考えている人の文章は、たいてい上手いんですよね。」という言葉でした。
気をつけることは数限りなくあるけれど、根っこのところは「読み手を気遣う」という事で、それさえ考えていれば大きく道を外さないんだなと思いました。
うん、いつもそれを意識することなら何とか出来そうです。
ちゃんと写真を取れば良かったな。
特にブログにするつもりもなくお会いしていたので、話に夢中になっていて、帰る間際に写真を撮らせていただきました。
ブログにするなら、コートを着てからの写真ではなくて、話している時の写真を撮れば良かったなと後で後悔。でも、いい事を沢山聞いたので、ブログに書いて他の人にも知ってもらいたかったんです。
ブログには書かなかったプライベートなお話も伺えて、とても楽しいランチタイムでした。村上枝利子さんへのお仕事の依頼はこちらから。村上さんが書かれた記事なども見ることが出来ます。
こんな記事も書いています。
村上さんがいいと言ってくれていた私の記事です。音声入力で書いたのも面白いですねと言っていただきました。
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